良い飲み屋と天外魔境は似ている。

誰の言葉か忘れたのですが、割と気に入っている格言(?)に以下の様なものがあります。

 

「良質なエンターテインメントとは客の頭を現実に戻させないことにある。その点を心得ている飲み屋なんかはトイレにも一工夫してある。」

 

これはなかなか本質を突いているなと思います。私は酒が好きで、酒の場も好きなのですが、酒を飲んでいる最中って気分も高揚していますし、楽しく過ごせているのですが、トイレに立って用を足している時にふっと現実に戻って、頭が冷めてしまう時があります。

前述した格言にもあるようにこの点を心得ている飲み屋ってのはトイレに絵や花が飾ってあったり、トイレ自体が面白いデザインをしていたりと、トイレに入ってからまた座に戻るまで頭が『現実』方向に行ってしまわないよう配慮がされています。

何でいきなりこんな話をし出したかというと、まぁゲームの話がしたいのですが、ゲームにおいてもこの「客を現実に戻させない」工夫ってのは非常に重要な要素だと思います。

私はそこまで熱心にゲームをしているわけではないのですが、それでも有名な『やり込み系』ゲームを何本かプレイしたことがあります。やり込み系ゲームの醍醐味といえば、やはり素材・装備品集め、レベル上げでしょうか。私もそのやり込み系ゲームをやっていた時はそりゃもう必死になってプレイしまくって、プレイ時間もかなりのものになりました。

しかし、そうして必死になってやり込み要素を追求し、熱中している最中にふっとこんな思いが頭の中で湧き上がってくるのですよ。

 

「これをすることが俺の人生に何か意味があるんだろうか…」と。

 

ゲームなんてそれを言っちゃあ、お終いよってなもんですが、これを思ってしまったが最後、一気に頭が冷めてしまい、それ以降そのゲームを一切しなくなったことが、過去二度ありました。そういう意味では私はゲームという娯楽にそれほど向いていないのかもしれません。(私がレトロゲームばかりプレイしているのも、思い出が詰まっているという事の他にレトロゲームはそれほどやり込み要素が無く、短時間で完全クリアできるというのも大きい気がします。)

しかし、そんな冷めやすい私ですが、「天外魔境Ⅱ卍MARU」だけは例外で、これまで10回はクリアしています。(クリアに50時間くらいかかるのに。)

自分は何でここまで天外Ⅱが好きなのかなーと考えた場合、勿論、初プレイ時の衝撃が大き過ぎたというのもあるでしょうが、もう一つ重要な事として私にとって天外Ⅱは現実とリンクしているゲームなので頭が冷めようが無いんですね。

私はこれまで何度となく天外Ⅱの舞台巡りのために日本各地を旅していますが、その都度ゲームと現実の接点を見つけることが出来て、新鮮な感動を味わえています。現実の領域にゲームがかなり浸食しているので、もはや頭が冷めようがないというか…

それやこれやを考えると本当に良いゲームに巡り合えたなぁとつくづく思います。

 

と、先日、滋賀県の満月寺浮御堂に行ってきて気分も良いのでこんな文章を書いてみました。そろそろ北陸に舞台巡りに行きたいなぁ。