卍丸は何を食べていたのか?

ゲームのキャラクターとはいえ卍丸達も人間ですから、24時間ずーっと根の一族と戦っているわけではありません。当然、夜は寝るでしょうし、寝る前には風呂に入るでしょうし、風呂に入れば着替えもするでしょう。

そして人間である以上、時間が経てばお腹が空きますから、食事をしなければいけません。これらの行為は天外魔境というゲームの中では描かれていませんが、画面の外では確実に行っているわけで…ゲーム内では描かれていないキャラクター達の日々の営みを想像して描いてみるのも二次創作の楽しさなのではないでしょうか。

 

さて、食事の話です。当然、卍丸も日に三度何かを食べていたのでしょうが、どういう食生活だったのでしょうか?(江戸時代中期までは一日二食が普通だったらしいので卍丸も二食だったのかもしれませんが、火の一族も一種の肉体労働なのでエネルギー補給のために三度食べていたのかも…)

「母ちゃんお代わり!」のシーンでもわかるように卍丸が家にいる際は母親である、お春さんが全て用意してくれていたのでしょう。でもって卍丸が白川村から旅立つ日、昼食と夕食くらいなら、お春さんが用意してくれた弁当を食べたのかもしれません。

しかし、翌日の朝食からは自分で何とかして食事を都合しなければなりません。さてどうする卍丸!?

「外食をすればいいのでは?」という意見も聞こえてきそうですが、天外魔境Ⅱの舞台となった時代は室町中期から末期が該当するようです。そして日本の歴史で外食産業が発展し始めたのは江戸時代中期以降だといわれています。卍丸が旅したジパングの世界は外食産業がまだまだ貧弱だった可能性があるわけです。(勿論、ジパングと現実の日本の歴史は似て非なるものであり、ジパングでは既に外食産業が活発であった可能性もあります。)

外食に頼れない時代の旅では、食料だけでなく料理に必要な道具(鍋とか皿とか)も全て持ち運んで自炊していたそうなので、卍丸もそれらを風呂敷に包んで旅をしていたのかもしれません。そして食事時になると薪を集めて、火を起こして家にいた時はやったこともない料理に挑戦していたのかも。

当然、最初は慣れないことでしょうから米が上手く焚けなくて生煮えになったり、魚の焼き方が分からなくて黒焦げにしてしまったり、失敗だらけだったのかもしれません。旅をすることで母親のありがたさに初めて気がつく15歳の少年、そんな場面もあったのかもしれません。

 

とはいえジパングを救うために旅をしている火の一族ですから、その土地土地で応援してくれている人も数多くいるはずです。宿や食事の世話をしてくれる人もいたでしょうから、実は案外良い物を食べていたのかもしれません。

というか本州の西日本各地を旅しているわけで、各地の美味しい物を食べる機会も多かった可能性はあります。粗食に堪えて旅をしていたというのもあり得ますが、逆に15歳にしては舌が肥えた旅をしていた可能性もあるわけで。

少なくとも各地の根の将軍を倒した後はその土地の人々は、根の一族の心配をしなくていいわけで、そりゃあ地域を挙げて卍丸達を歓待するでしょう。

 

そんなこんなで時に自炊をし、時に豪華なもてなしを受けて旅を続け、ついにヨミを倒してジパングに平和を取り戻した卍丸。エンディングで京都の送り火が描かれていましたが、盛大な慰労会も開催されたことでしょう。もう何も心配することはないのですから、卍丸も気兼ねなく豪華な食事が楽しめたはずです。

 

そして楽しい時間はあっという間に過ぎて火の勇者達もそれぞれの場所に帰っていきます。卍丸はお春さん、卍之介と一緒に歩いて白川村まで帰ったのかな?久々の我が家にホッと一息ついているとお春さんが、食事を用意してくれました。念願の母の手料理を楽しみにしていた卍丸の前に置かれたのが、『かて飯』なわけです。

かて飯というのは米に稗や蕎麦などの雑穀、豆や大根などの野菜を混ぜて全体の量を増やした飯のことです。昔は白米(所謂銀シャリ)が食べられるなんてハレの日くらいだ、というような話を聞いたことがあるかもしれませんが、それくらい白米というのは貴重な食べ物だったので、普段はかて飯が一般的だったようです。

白川郷も例外ではなく、近年になって米の品種改良や輸送手段の向上が起こるまでは米はやはり貴重な食べ物だったようです。(養蚕や火薬の材料となる硝石作りで現金収入を得ていたようですが、それでもって米を十分購入出来ていたかどうかは、ちょっと不明ですね。この点、勉強しなければなりません。)

 

稗や蕎麦、大根が混じっているために全体的に茶色ぽく、銀シャリを食べ慣れていた卍丸からすると久々の我が家の飯は殺風景に映ったかもしれません。赤カブの漬物が昔から名物だったそうなので副食もその程度だったのかも。

とはいえ念願の母の手料理、卍丸は喜んで箸を動かし、かて飯を口に運び、咀嚼します。すると噛むうちに卍丸はこの一年間使われていなかった部分の脳細胞が一気に活発になってきたような感覚に襲われました。ボソボソとした食感でお世辞にも美味とはいえません。しかし、卍丸にとって母がつくってくれたかて飯こそが、生まれ故郷を象徴する存在であり、噛めば噛むほど、あぁ俺は家に帰って来たんだ…という思いに浸るのでした。

お春さんはもっとこんなものしか用意できなくてごめんさない、と謝りますが、卍丸の箸は止まりません。そして全て平らげると満足した表情で母に茶碗を突き出して、こう告げるのです。

 

「母ちゃん、おかわり!」

 

と。

 

 

 

 

…という妄想でした。こういう場面を小説に出来たら面白いかもしれませんが、現状思っているだけです。