蒼き流星SPTレイズナー 第6話『とり残されて』

www.b-ch.com

※完全なるネタバレです。

 

ついに米ソの決定的な衝突が起こってしまい、エイジの警告が現実のものとなってしまいました。

運悪くバギーがスタックしているところにロベリアのブレイバーが襲い掛かります。バギーも破損し、徒歩で逃げるしかなくなったため全員バギーから脱出しますが、フランソワが動くことが出来ません。鎮静剤の効果がまだ続いているのか、仲間に死なれてもう生きる気力を失ったのか……フランソワはそのままバギーの爆発に巻き込まれて死亡します。

国連職員の中で最後の生き残りとなったビルは自動小銃一丁でブレイバーに立ち向かい、仲間を全て殺された怒りをぶつけますが、当然かなうはずもなくそのままブレイバーのマニピュレーターで殴り殺されます。しかし、殴り殺すといってもロベリアは平手で薙ぎ払うような形でビルを排除しており、『退かした』という表現の方がしっくりくるようにも思えます。まるで出来れば気絶くらいで済んでほしいという願望が透けて見えるようです。ただ、ブレイバーの重量は14tもあり、いくら重力が低かろうが、そんな数百㎏はあろう掌で叩かれて無事で済むわけがないのですが…

しかも、ロベリアはビルを殺害した直後に苦痛に満ちた表情をしていることに加えて、アンナのような子供までいることに驚いています。任務とはいえ非武装、無抵抗の相手を殺害しなければならないことに明らかに苦しんでおり、ゴステロや地球人を毛の抜けたサル呼ばわりしていたグラドス兵とは対照的です。

ここでゴステロ達の周波数を解読したエイジが通信に割り込んで、彼らの行為に抗議します。時間がかかるとはいえ、自動的に周波数を解読できて、そのまま通信に割り込めるというのは情報保全上ちょっと無防備な気もしますが、この程度なら作劇上の都合とリアリティのバランスを崩してはいないと思います。敵と味方が全く会話できないというのも制約が多すぎると思いますし。

岩陰に隠れたCCCのメンバーですが、アーサーが恐怖に耐えられず、ブレイバーの射線上に飛び出してしまいます。ゴステロとエイジの「グラドスの誇り」についての問答を聞かされたロベリアはCCCのメンバーをロックオンしながら撃つことが出来ません。カメラをズームしてエリザベス、シモーヌ、アンナの怯えた表情まで見てしまっています。

と、ここでエイジからゴステロの部下殺しについて聞いたロベリアは決定的な迷いが生じ、そのままCCCのメンバーを撃つことなく立ち去ります。

それにしてもアーサーが飛び出したのは結果的に好判断でしたね。あのまま岩陰に隠れていたら、ロベリアが射撃を続けて岩で圧死した可能性もありますからね。アーサーが飛び出したことで、ロベリアはアンナ達のあまりに無力な姿を目の当たりにして撃つことが出来なかったのですから、アーサーはよくやったと思います。(ただ単に怖かっただけなんでしょうけど、笑)

 

命だけは助かったCCCのメンバーはビルとフランソワの遺体を埋葬します。凄まじいまでの悲惨さです。これで第一話からCCCに関わっていた人間は全員死亡してしまいました。物語の冒頭からここまで人が死にまくるアニメってちょっと珍しいのではないのでしょうか?しかし、ここまで悲惨でありながら、不思議と視聴していても陰鬱さはあまり感じられません。これはテンポが非常に良いというのもあるでしょうし、個人的に思うのはレイズナーに限らず、高橋良輔監督作品は人の死をドラマにしない、という特徴があるからだと思います。レイズナーにおいてもフランソワやメイといったそれなりに出番も台詞もあり、それでいて無力な女性が、異星人の侵略によって虐殺されても感傷的な演出など一切入らず、その死は一つの事象として通り過ぎるのみです。

 

もとよりたれの死でも死は死でしかない。死は一行以上述べることはできず、生のように多弁ではありえない。

                         司馬遼太郎著 韃靼疾風録より引用

 

私は創作において手っ取り早く話を盛り上げるのなら、キャラクターを死なせて、それを他のキャラクターに嘆かせることが一番だと思っています。それをやれば嫌でも視聴者は感情を動かされるでしょう。しかし、感情を動かされるというのは必ずしも良いことではなく、それが繰り返されると視聴者は疲労を感じ、徐々に緊張感を失います。死は死でしかない、そういったドライな作風こそが、高橋監督作品の大きな魅力であり、視聴に疲れを感じさせないのだと思います。

 

www.votoms.net

しかし、だからといって高橋監督が作劇において死を軽視しているかというとそんなことはありません。高橋監督のキャラクター達は表面上感情を露わにしないだけで心の奥底では親しい者の死に大きな悲しみを感じています。それが決定的に表現されたのが、装甲騎兵ボトムズのサンサ編『恩讐』でしょう。普段は、のほほんとして悩みなど無さそうに見えたココナも実は戦禍によって家族を失った悲しみを抱えていることを視聴者に見せつけました。喜怒哀楽は表に出せばいいってもんじゃないんだよ、そういう高橋監督の作風が私は大好きです。

 

話が大分逸れましたが、生き残ったCCCのメンバーはいつまでも悲しんでいられず、核シェルターがまだ健在のはずだという一縷の望みを信じて、アメリカ軍基地へと歩を進めます。放射能汚染の恐怖を感じながら…

が、そんな希望も空しくCCCのメンバーが見たのはアメリカ軍の軍人たちが核シェルターを奪い合って同士討ちの果てに全て死に絶えているという最悪にもほどがある光景でした。これでアメリカ軍基地に辿りつけさえすれば何とかなるという前提が全て崩壊してしまいました、もはや望みはありません。

 

ゴステロとエイジに追いついたロベリアはエイジにガステンの死の真相を問いただし、ゴステロがガステンを殺したことを確信します。そしてガステンと同じように窮地に陥ったエイジを救い、ゴステロ軍法会議にかけると宣言します。

と、ここで名BGM「迫り来るものへ」が初登場。てっきりV-MAX発動時が初出かと思いましたが、ロベリアとゴステロの争い時が初めてだったとは…

そして単独でエイジに接近すると大人しく自分に連行されること、きちんと裁判を受けさせてやるとことを告げます。きっとゴステロの部下殺しについてエイジに証言してもらう狙いもあるのでしょう。

しかし、ロベリアは背後からゴステロコクピット部を撃ち抜かれ、即死してしまいます。ああ、また一人真っ当な大人が…

しかし、これに激怒したエイジはシャトルに搭載されていたSPT『バルディ』に乗り換えるとゴステロに怒涛の攻撃を加えます。ゴステロは何とか脱出しますが、完全に機体は破壊されており、初めて相手を殺す気で攻撃したことが分かります。

 

絶望に暮れていたCCCのメンバーですが、そこにエイジの乗ったシャトルが降り立ち、絶望の中に新たな希望が芽生えました。

 

 

余談…3話に渡って登場したロベリアですが、本当に良いキャラクターをしていましたね。外見もハンサムですし、軍人として規則や任務に忠実でありながら、それらを妄信するだけでなく、人道に反する様な行為は毅然として抗議する……グラドスにも真っ当な人間は確かに存在することを象徴するようなキャラクターでした。スパロボには未登場のようですが、出た際には味方になってもいいんじゃないでしょうか?それくらい魅力的なキャラクターだったと思います。まさしく『ブレイバー:勇気ある者』に相応しい存在でした。

しかし、ちょっと気になる点もあります。ロベリアはゴステロが味方殺しをしたことを確信し、ゴステロ軍法会議にかけると宣言しておきながら、ゴステロについては「そこにいろ。」の一言で済ませて、エイジの逮捕に向かってしまいます。ゴステロにしてみればこのままでは軍法会議で処刑される可能性があるので、何としてもロベリアを殺そうとするでしょう。ならば、ロベリアはエイジの逮捕に向かう前にゴステロが、これ以上自分に危害を加えられないよう処置をしておくべきだと思うのですが…

ブルグレンのレーザードライフルを破壊するとか、四肢やバックパックを破壊するとか、いくらでもやりようがあるとは思うのですが、それすらせず、最終的にゴステロに逆襲されて殺されてしまうのは、ロベリアはあまりに不用意だと思います。これまで軍人として優秀であろうという描写が見られていたのに…

ただし、ロベリアはそれほどSPTの操縦技術に関しては優れていないのでは?と思ってしまうシーンも多いです、エイジがカーフミサイルで岩を崩して、道を塞ぐシーンでもゴステロは急停止しているのにロベリアはそのまま体勢を崩して転倒していましたし、エイジを追跡するシーンでも崖に衝突してしまっていました。そう考えるとロベリアは軍人としてもパイロットとしてもまだまだ若く、未熟であり、そのことが最期の不用意な行動に繋がったとも思えなくないです。

 

レイズナーは本当によく出来たアニメだと思いますが、どうにもゴステロ関連だけは「?」と言いたくなるシーンが多いです。